イモほり
昨日は夜遅くまで高校オケ後援会の懇親会。歴代の役員が代わり32代の役員が就任した。
こうして生徒も支援する保護者たちの歴史も刻まれていく。
音楽愛好家の僕もずっとこのオケの支援をしていきたい。とても単なる高校の部活動のレベルではない。
大学オケと共演しても遜色ないだろう。いやもっとうまいかもしれない。
自分のバイオリンも頑張ろう。
さて、今日は娘一家と佐倉のくさぶえの丘に遊びに行った。昔娘らが小さい頃来たことがある。
今日は孫を連れて、おにぎりを持って、ジャガイモ掘りに来た。SLに乗ったり、新鮮な野菜を買ったり、きれいなバラ園を見たり・・・・。楽しい一日だった。ジャガイモやソラマメが畑でどうやってできるのか大人にも子供にも勉強になる。スーパーで売っている野菜だけしか知らないと、野菜はスーパーでできると思う子供がいても不思議ではない。家は農家だった。両親がイモや落花生、スイカ、メロン、ナス、キュウリ、トマト、ダイコン、カブ、小松菜、ホウレンソウなどなど畑で作っていた。今の我が家がある土地は昔は畑だった。近隣にある県の総合運動場も昔はといっても昭和36年ごろ施設ができるまでは一帯は開拓農民が耕していた天台農業組合の畑だった。
組合長をしていた父のところに当時の千葉市長が交渉に来て、売ってほしいと申し出てきた。成田空港闘争のずっと前だ。組合員を説得するのには父が相当苦労したらしい。組合員から脅迫状が来て、刑事が自宅を見張ってくれていた。父は姉が作ったサラシを腹に巻いて万一の時に備えていた。「脅迫状を書いたのは誰なの?」と晩年父にも母にもしつこく聞いたがとうとう教えてくれずに天国に行ってしまった。
そんな事件があったが、県に土地を売却した補償金でアパートを建て、その後ずっとアパート経営をした。
空いていた土地には畑を作り、いろいろな野菜を作った。晩年我が家の庭の前には父が作った畑が一面にあった。サツマイモ、ジャガイモ、キュウリ、かぼちゃ、落花生、ピーマン、ナス、トマトなどなど作っては子供たちに配っていた。今日のジャガイモ掘りでそんな昔のことを思い出した。そういえばスイカも昔広く作っていた。スイカ泥棒がこないように兄弟で番小屋に交代で泊まり、見張りをした。そのスイカをリヤカーに積み、兄弟で遠くの稲毛海岸の海の家まで売りに行った。一個100円で売っただろうか?飛ぶように売れた。今では国道14号線の向こうは埋立地になってしまって、海の家の面影はまったくないが、遠い昔を思い出す。
そんな今日のジャガイモ掘りだった。


Comments